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模倣の行く末

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愛読している、「風景写真」という雑誌の編集長さんが「隔月刊風景写真kaoruの編集長日記」というブログを開設していらっしゃいます。
いつも読みながら、フムフムと1人で物思いにふけることが多いのだけれど、「模倣の行く末」というタイトルの記事は、このときのひらぎにとって、とてもとても、考えさせられる言葉だったのです。

風景写真をよく知らない写真家の中には、「日本にはもう撮るべき風景は残されていない」とか「日本の小さな風景より、海外にはもっと凄い風景がいくらでもある」と言って憚らない人がいます。このブログでも何度も述べているように、風景写真とは地形や場所を撮るものではなく、心で見つけた風景を主観的に撮るものですから、そのような批判は当たりません。もし、そのように言う人が人物を撮るカメラマンなら、こう聞きたい。「あなたはスーパーモデルでないと、良い写真が撮れないのですか?」と。

自分が感動した情景を写真に収めたいって思っていたキモチがいつのまにか、大脱線。
賞賛されたいというキモチや、入賞したいというキモチに変わっていく・・・
欲が出るというのは、人の常といえばそうなんですが。
でもこれは、大脱線だよなぁ。と我が身を正した記事でした。

最近、fotologueに自分の写真を載せ、トップページに並ぶ写真を見て、言葉にならないキモチを抱えていたのですが・・・その答えが自分の中で出せたような気がします。

戦うべきは、自分自身ですね。
そして、何を撮りたいのかを忘れていたことを思い出しました。

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