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Yogini vol.29の"「タケミナカタ」の言霊"のこと

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Yogini vol.29の

台風が日本を横断して暴れまわっていますね。
埼玉はまだ風が暴れていますが峠は越えた様子です。

今のところ、我が家では大きな被害はなさそうですが、既に様々な被害が報告されていますね。
皆様の身の周りは、無事だったでしょうか...。

それから、台風は被災地で暴れて...まだまだ瓦礫も残るという被災地で大きな災害にならずに済むことを祈るばかりです。

さて、先日、定期購読しているYoginiの新刊が届きまして、台風の嵐の音を聞きながら読んでいて、とっても自分好みの面白いお話が掲載されていたので、紹介したいと思います。

といっても、全文掲載はできないので、紙面から一部を抜粋としてみようと思います。全文が興味ある方は、どうぞ書店で手にとってみてください。

日本のへそ・諏訪にいる強烈な守り神
「タケミナカタ」の言霊

諏訪大社のご祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」です。
この神が諏訪で祭られている理由はその言霊にありました。

(冒頭略)

日本列島には関東から九州にかけて延びる、日本最大級の断層「中央構造線」があります。また、本州の中央部には日本を縦に分断するようなフォッサマグナ(中央地溝帯。ラテン語では大きな窪みの意味)があります。フォッサマグナは東側の柏崎・千葉構造線と西側の糸魚川・静岡構造線の2本の線に挟まれた地帯を指しますが、このうち糸魚川・静岡構造線と中央構造線が交わるところに、諏訪大社があります

(中略)

諏訪大社は(中略)上社2社には本殿はなく、ご神体は御山。峻厳な自然そのものに手を合わせる拝殿が用意されています。

では、ご神体として建御名方神が祭られているのは何故でしょう?それは、言霊と関係していそうです。(中略)タケミナカタノカミを言霊から見てみると、タケ=猛々しい、ミ=有形的な要素・体など、ナ=大地、カタ=一定の状態を保つ。合わせると「猛々しい大地を一定の状態に保つ」というエネルギーが込められていることになります。つまり地震の多い国土を一定の状態(大地が安定している)に保つために、建御名方神はその名をもってとどまったのです。

(中略)

全国の一之宮の多くが中央構造線上に連なっていたり、言霊的に意味があったり、古い神社と地震は深い関係にあるのかもしれません...。

Yogini Vol.29より

何気なくそこに建っていると受け取りがちなものも、実はとてもとても大きな意味がある。
そんなことを知ると、日本って本当に凄いなぁって、思っちゃいます!
勿論、こういうものは日本だけではありませんが。('-'*

こういう昔の人たちが残した「なるほどなぁ」を、もっともっと探してみたいです。

ここからは、チラシの裏...です。

私は、日本人であることに小さいながらも誇りがあります。
先に掲載したような信仰心も、私が日本人としての誇りを持てる理由の1つです。

良いか、悪いか、宗教的問題、云々...そういう部分は別として、日本は古来から、大自然に限らず人の生み出す物にも魂が宿ると信じ、八百万の神を信仰して。
自然も物も人も、同じように大切にして愛していこうとする。

自然、自然現象、疫病、思考、人の作り出した物...その全てに、名前と性格をつけ、守護神と祟り神両方の力を持つ人の形をした存在として擬人化して。
1人の存在として愛そうとする。

日本がアニメ文化に特化しているのは、こういった、擬人化...キャラクタ設定を大昔からやっていたせいでしょうか?(笑
でも、そんな日本人が、私は好きです。

地震も、津波も、台風も。
自然は時々、人間に限らず地球上の生命に、問答無用の被害与えて、沢山の命を奪います。
命を奪う存在としてはなくなって欲しい存在だけれど、命をはぐくむための環境から生まれる存在である事実を知っているから、その存在を全て否定しきれない。
だから、自然の力を恐れながらも、神様として奉りることで恐れを抱きながらも「神様、どうか、穏やかで居てください。」と愛そうとする姿勢...。
忘れてしまいやすいけれど、とても大切だなぁ。と思います。

未だ全貌を把握しきれない宇宙のひとかけらの中にある小さな惑星、地球。
その小さな惑星である地球の中で、更に小さな小さな生命体として生きる私たち。
その私たちの体を構成している数え切れない細胞たち。

マクロコスモスとミクロコスモスの関係性は無限に続きます。
宇宙や自然にとっては、私たちも細胞の1つなのかもしれません。
細胞の1つ1つがそれぞれの役目と寿命を持って、生と死を繰り返してながら小さな宇宙が構成されて、それが集まってさらに大きな宇宙が構成されていく。

結局私たちは、時に自然に殺される存在だけれど、自然がなければ生きていけない小さな存在でもあるのですね。
自然の持つ力や宇宙の持つ力を超えようとするのではなくて、共存していく道を探せるようになったなら、その時はきっと、世界に平和が訪れるときでもあるのかもしれないな。
なんて、根拠のない事を考えてしまった今日この頃です。

もし本当に、人間が、地球を構成するために必須な細胞の1つであるならば...。
私の存在も、小さいけれど大きな力なのだろうと信じたい。

そして、なによりも!せっかくこの地球に生きているのだから!
細胞になれていなかったとしても、私は悪玉菌ではなく、善玉菌でありたい!!

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